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明治少年記

明治少年記.JPG

 今日も本の話題で、東大建築科の教授だった藤島亥治郎さんが書いた
「明治少年記」。藤島さんは明治33年4月1日生まれのb−gの父と根津
尋常小学校で同級だった人。因みに父は子年卯月一日にうまれたので
子卯一(しういち)と名付けられました。4月1日生まれは早生まれで
先生は前年の亥年だから「亥治郎」だと思います。父は45歳で戦死した
が、先生は100歳以上も長生きされ、10年ちょっと前まで「谷根千」に
よく投稿されていて、父のことも書いてくれました。
 谷根千の紹介で先生の思い出ばなし「明治少年記」を知り買った本。
中にも「米屋のむすこで田中子卯一というのがいて、わりあい仲がよか
ったが、いまはどうしているかしら。」「先生は六年までずっと可地
先生だった。」とあります。建築家の目で描いた挿絵が豊富で、明治
時代の子供のころのことが、すごい記憶力で書かれています。
 昨日の「東京セブンローズ」と同じ舞台で、藤島さんは根津辺りの
地図が書かれていて、右上の「米や、田中君の家」というのが本家。
元は大きな敷地だったそうです。団扇と暦の他に通りに面して米屋も
営業していたので「米屋のむすこ」と記されたのでしょう。
 父の5年生の時、明治43年から44年の通知簿が家に残されていて
ちょうど藤島さんと一緒に学んでいた頃のもの。加地先生のハンコも
押されています。ほぼ全甲の成績ですが唱歌だけが乙、ということで
b−gの音痴は遺伝であることが分かります。

地図.JPG

通知簿.jpg

 昨日210部印刷した「寺だより」11月号を、朝のうち寺に届ける。
10時シビックホールギャラリーで、Nさんが出品した絵画展へ。奨励賞の
力作。あまり絵を描かないbーgは反省。
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