ひがーし紀文のはんぺーん
b-gの義弟のMは紀文の社員でした。LINEに毎日色々な話題を送ってくれるので、
先日はこのブログにナスの話を使わせて貰いました。そして丁度いま両国国技館では
大相撲7月場所の最中で、期待の大関朝乃山が7連勝中です。紀文とお相撲の話が
タイムリーだし初めて聞く貴重な話題なので、そのまま使わせて貰いました。
「今日は大相撲の話です。
テレビで相撲を見てお分かりですが、呼び出しさんの背中に各企業の社名が
描かれていますね。広告としての媒体価値があるので電通と博報堂が仕切っている
ようです。昔は広告料金等はなかったのです。
相撲の世界は格差社会で、以前は給料が出るのは親方、力士、行司くらいで
呼び出しさんは無給(少しは支給さるたかも?)でした。
紀文の創業者は身体が大きくて、村相撲の横綱で東京場所の時は必ず観戦した
そうです。相撲部屋にも出入りしていて、呼び出しさんの生活が苦しいのをみて、
場所毎に浴衣の生地をプレゼントしていました。呼び出しさん達は感謝に応えるため
背中に紀文の文字を染め土俵に上がりました。
テレビが普及し広告媒体として効果があるので、各企業が相撲協会に申し入れし
電通が一手に扱いました。今では紀文も電通に広告料金を払っています。
そんな背景があるのを知る人はほとんど居ません。時代と共に歴史の背景は
消えてしまいました。
お相撲話をもうひとつ。
私が紀文に入社したのは昭和41年で配属先は宣伝課でした。販売促進の担当で
当時は百貨店の催事は花盛りでした。紀文も熱心に展開し三越、伊勢丹、地方の
百貨店で紀文場所と名付けたサークルを作り、蒲鉾や竹輪、はんぺん塩干物等を
販売しました。
呼び出しさんで小鉄と言う声の通る人が居て、引退後は紀文に入社しました。
配属は宣伝課で私の同僚?で、百貨店の紀文場所では、呼び出しの姿で「ひがーし
紀文のはんぺーん」「にいーし紀文のかまぼこー」等と美声を張り上げお客さんは
沢山集まりました。
小鉄さんと一緒に北海道や仙台、福岡等の百貨店での紀文場所巡業?をしました。
楽しくも懐かしい思い出です。」
2020-07-25 21:15
nice!(1)
コメント(0)
コメント 0