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アイヌコタンにて

宮本イカシムトク2.jpg

 最近は人の名前や固有名詞を聞いてもすぐ忘れ、そして思い出せないのですよ。
なのに昔のことを突然ポッと思い出したりします。戦争終わって8年目の昭和28年
に大学仲間4人で北海道を巡った話を、先日のブログで書きました。

 その旅行の写真の数々を懐かしく見ていて、白老のアイヌコタンを訪れた時の
酋長さんの名前が「そうだ、宮本イカシムトク」とスッと口に出たのです。あの頃
「アイヌコタン」と呼んだアイヌ部落が以前のまま残されて、皆さんはそこで生活
されていました。

宮本イカシムトク.jpg

 生け捕った熊の頭蓋骨を家の前に壁のように並べ、家の中で宮本さんがアイヌの
生活ぶりを話してくれました。「記念写真を」と頼むとこころよく応じてくれて
威厳のある姿を写真に収め、我々4人と並んだ記念写真も酋長さんと奥さんが
代わる代わる交代でシャッターを切ってくれました。貴重な写真です。

 SNSによると宮本イカシムトクさんは、昭和33年に81歳で生涯を閉じたそうで
我々が訪ねた5年後に亡くなったことになります。堂々として優しさも持った人
だったと記憶しています。

 昔のアイヌの風習で鼻の下に刺青を入れた奥さんのサキさんも、若い我々に部屋で
裁縫するところを見せてくれたり、アイヌの生活ぶりを話してくれました。

宮本サキ.jpg

針仕事.jpg

 コタンの一隅に木で組んだ熊の檻があり、その横で酋長さんと別れました。
戦後流行ったNHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の中で山男が「アーアー」と口ずさむ
メロディーを昭和24年(1949年)に菊田一夫作詞、古関裕而作曲、伊藤久男が歌った
「イヨマンテ」は、熊祭りでアイヌ語の送り儀式のこと。コタンを訪れて熊と深い
関わりを知りました。

熊の檻.jpg

 2003年50年ぶりに再び白老を訪れた時の変貌には驚きました。まるで違った
観光地になっていて、アイヌ記念館やお土産やが連なり、車がずらりと並んで駐車
していました。下はその時の写真です。

白老部落.JPG

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コメント 2

unknown

6~70年も前のお写真なのに,本当にきれいな状態で残っていましたね。。「宮本イカシムトク」と入力したところ,壮年期のご夫婦の写真が出てきました。長老というにふさわしい威厳を感じます。
子どもの頃,「コタンの口笛」というアイヌ差別を描いた本に
衝撃を受け,何度も読み返しました。今のBLM運動を見て,差別の本質は変っていない,変らないなあと思います。
by unknown (2020-06-30 08:58) 

b-g

unknownさん
コメントありがとうございました。あの頃のフィルムはポジカラーで
その後にデジタルに変換してありました。ポジフィルムの管理が悪くて
カビが生えてしまったりしましたが、何とか残せました。



by b-g (2020-06-30 18:27) 

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