ダットサン
日産がルノーと出資比率の見直し検討に入ったと先週の報道がありました。
1999年、日産が経営が危なくなってゴーン氏を社長に迎えて、ルノーが日産株
の43%を持つ筆頭株主になり、日産はルノー株を15%出資したが議決権がなく、
今や日産はルノーを上回る売り上げなのに不平等だと言うことで、出資比率を
43%から15%に引き下げる交渉が始まったとのことです。
株のことはよくわかりませんが、日産のダットサンがb-g一族の自家用車だった
時期があったので、今日の話題に。
b-gの一族はごく近所に住み、団扇と暦と米を兄弟で太田屋を商っていました。
創業は安政三年なので地元では古く、祖父は町会長を長いことしていました。
日産のダットサンを持ったのは、地方への注文取りや配達の仕事のためで、
父の兄弟たちはみな運転できました。
一番古い写真では、b-gが5歳頃に一番上の伯父と従姉弟達とが写っているから
昭和11年頃かな。
左がb-gの父親、母の前でポケットに手を突っ込んでいるのがb-g。
我が家の前で撮った写真の従兄姉たちの後ろに、ダットサンが写っています。
玄関先に提灯を下げ、お盆の迎え火を焚いている一族。5軒あった親戚で
父が一番下なのに祖父が我が家に住んでいたので、毎年ここで焚いたものです。
仕事以外に、あるときは祖父を乗せて関西にドライブしたようですが、
b-gはダットサンに乗って、ドライブした記憶がないのです。
あの頃は飲酒運転はOKだったので、父の運転で一家で浅草のビアホールに
行ったのは微かに覚えているのですが。
昭和12年に日中戦争が、昭和16年には太平洋戦争が始まり国家総動員体制に
なり、いつの頃か我が家のダットサンも二束三文で徴用されてしまいました。
我が家の前で写真を撮る兄と従姉妹たち、b-gが5歳頃かな。左車庫の扉が
壊れていると言うことは、この頃にはもう家にダットサンが無かったのかも。
この後の写真で、ダットサンが写っているのが手元にありません。
2022-10-16 23:56
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