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でもしか先生

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 神戸の小学校で若い先生が年上の先生4人から、羽交い締めや激辛カレーを目に口に
押込められたり、LINEで第三者にわいせつな言葉を入れさせたり、先生にあるまじき
イジメをしたニュースが今日流れました。校長に訴えたが揉み消され、教育委員会に
家族が訴えて発覚したのでした。教員社会の狭さ。

 8月の朝日新聞に教員のなり手がないとの記事が出て、産休で4年間休んでいる
ほーちゃんらの母親Mに送りました。彼女は子供らが大きくなったので、復職を
考えているようです。

 昨日の朝日新聞にまた「教員のなり手が減少」の記事が載りました。
給料が安く、給料の4%が出るだけで残業代が出ず、長時間労働が当たり前に
なっている「ブラック職場」が敬遠され、ベビーブーム時代に採用された教員が
定年を迎え大量に辞めたり、産休育休で休暇等教員の補給が緊急なのに、
採用試験の競争倍率が低いのに人が集まらいようなのです。

 bーgの子供の頃の先生は怖かった。小学校の担任だったT先生は悪いことすると
すぐゲンコツの師範学校での先生でしたが、昭和19年我々がそうつぎょうする時に
大政翼賛会の世の中に反発したのか、教員をサッと辞めてしまいました。
 戦後、謄写版の印刷屋になっていたT先生ご夫妻と会い、生涯深くお付き合いし
可愛がって頂いだ、気骨のある九州男児の先生でした。

 bーgが大学を卒業した昭和29年頃は「でもしか先生」と言う言葉が流行りました。
戦後から高度成長期にかけて教員の採用枠が急増し、教員志願者が容易に就職できた
時代、他にやりたい仕事が見つからないから「先生でもやろう」とか、他に技能が
ないので「先生にしかなれない」と言う無気力な先生は呼ばれました。
 高度成長期が終わり、1990年以降は国内経済の低調や少子化によって、学校の
教員採用が激減、競争倍率の高い狭き門になり「でもしか先生」は死語になりました。

 上は今日の朝日新聞、下は出身小学校の玄関先に今でも鎮座する二宮金次郎像。

二宮金次郎.jpeg

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