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父の絵手紙

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 父は明治33年4月1日に生まれました。子年の卯月1日生まれなので「子卯一」と
名付けられ「しゅういち」と読みます。家が商家だったため、8人兄弟はみな小学校
までで、全員家業の手伝いをしてました。

 父は字が上手く、国定教科書活字の版下を書いた井上千圃先生に習ったようです。
ちなみに千圃先生の書が、いわゆる「教科書体」と呼ばれるようになりました。
家業の団扇と暦の名入れ文字や、ハンコ屋に頼まれたゴム印の小さな文字を雁皮紙に
書いていました。

 体が弱かった兄のために、春休みや夏休みには千葉や熱海などに長期療養しに
父を残して出掛けたものでした。療養先に子供らが飽きないようマメに絵手紙を
出し、昭和8年から16年まで20数枚残っています。

 写真は昭和8年、2歳頃のbーgと父と兄の3人、母のシャッターだと思います。
絵は昭和10年8月2日と6日の日付でした。

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妹夫婦の一周忌

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 去年同じ介護施設アズハイムに入居していた妹の夫Yが亡くなり、ひと月後後を追うように
逝ってしまった妹Tの一周忌が、彼らの子供と孫とbーg、mーkも参列するはずが骨折で
せがれのTに代わって貰い、朝11時から寺でU副住にお願いして行われました。
台風18号が近づき、雨を心配したが天気が良くて、喪服も暑くなく幸いでした。

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 献杯の音頭を長老のbーgが受け持ち、いろいろな縁で二人が結ばれ、最後は同じ寺に墓を
持つことになった話などをしました。三人兄弟のbーgは兄は卯年で優しく、bーgは羊年で
おとなしく、妹は猪年。兄妹の中では妹は一番ものをはっきりと言う性格でしたが、
嫁さんに聞くと、柔しいお母さんだったと言ってました。
 そして妹夫婦のラブラブぶりは、晩年二人とも体調崩し、彼は気を使って一足先に
逝ったんだと話し合いました。

 子供たちと和気あいあい、楽しい会話を交わした法事でした。法事とは亡くなった者が
身内の集まる機会を作ってくれるのでしょうね。

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ラグビー勝利

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 今日のニュースは何と言っても、ラグビーワールドカップで、なんと世界第2位の
アイルランドに19-12で、TVニュースでいう「衝撃の勝利」をおさめたこと。

 途中までテレビで見ていたがハラハラして見ていられず、チャンネルを別に
回してしまいました。と、どこか外から大声と拍手が聞こえてきて、
「これは!」とNHKにチャンネル戻すと、勝利に酔っている選手が映し出され
最後のトライやシュートをその時見なかったことを残念がるbーgでした。
ともかく日本中がカップ優勝したような熱狂ぶり、英メディアでも「衝撃の勝利で
W杯を震駭させる」「歴史的勝利」と報じて、bーgもミーハー的に喜びました

 ほとんどラグビーの試合を見たことがなかったのですが、第1戦でロシアを
大差で破り、彼岸中寺で線香つけをしながら、元選手のHさんからルールを聞き
あらためてTVで見ると、こんな手に汗を握るスポーツはないですね。
 決勝戦まで勝ち進み、それこそ今まで弱い印象だった日本ティームが
「歴史的勝利」するまで頑張れ〜。

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退院

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 朝mーkからのライン「これからリハビリした後、退院します」
三泊四日の病院生活でしたが、8階の窓から見える広尾方面の景色とお別れです。
bーgが数年前から何回も入院したのに、北側の景色は見なかったので新鮮です。

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 一人で退院してきて、11時半文京区役所シビックセンターで落ち合い、
5階でシルバーパスの交付を受けてから、25階の展望台へ。
手伝いに来てくれた娘Eは初めての展望台で、ぐるりと眺めて帰宅。
見た景色は後々思い出として蘇ります。

 1週間のギプスでちょっと不便ながら日常生活に元気に戻りました。

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骨折

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 娘Eがmーkの見舞いに行き、骨折の手術した昨夜は痛くて、痛み止めの処置を
して貰って寝られたとのこと。浮腫んだ腕を紐で上に持ち上げている写真を
撮ってきました。今日からリハビリで、毎週1回3ヶ月通わなければならない。

 bーgの骨折経験は4歳ころに、熱海で静養中に転んで骨折したのが最初。
父が東京から絵手紙をくれたのが残っています。「熱海の子守唄」は
当時流行った東海林太郎の「赤城の子守唄」のパロディです。

 次は中学3年の時、体操で跳び箱を飛び損ねて、膝頭を跳び箱の角にぶつけ
全治2ヶ月掛かりました。ちょうど夏休も前のこと、入院せずに家で寝ていて
通院にはリヤカーに乗せて貰って行ったものでした。

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タクシーでK病院へ

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 昨日入院したmーkの手術日。午前8時45分に手術室に入るため、
早起きして娘Eと7時に家を出る。タクシー待つ白山通りの空に明るく
雲が広がるが、やがて秋晴れのそれも暑い1日となりました。

 K病院8階から眺める風景は、bーgにとって懐かしい景色です。

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 娘が言うには、免許返納した運転経歴証明書を見せるとタクシーが10%の
割引になるはずという。たまたま乗ったタクシーがその対象車で、K病院で
降りる時に申し出ると、10%安く支払ってOKでした。

 警視庁の「高齢者運転免許自主返納サポート協会加盟企業・団体の特典一覧」を
見ると、特典を受けられるのがあるはあるは、タクシーのみならず沢山あるのです。
銀行の金利、デパートの配送無料、ホテルの割引、美容理容の割引、お婆さんの原宿
巣鴨商店街では記念品を、メガネ補聴器も割引になり、変わったところでは家族を
自動車教習所に紹介するとクオカード、入校の方に10,000円のキャッシュバック
などなどきりなくあるのです。
 返納を考えている人、早く返納した方がいいですよ。

 mーkの手術は9時から始まり、1時間半で終わりました。10時50分別室に
呼ばれ担当医の説明。折れた骨にチタンのサポートを9本のボルトで固定、
骨が完全にくっついた後、若ければ外すそうだが、取らない方が安全とのこと。
それが神経に触って痛みが残れば考えるそうで、その確率は1%くらい。
それより1週間後から始まるリハビリの方が、長くかかるようで大変です。

 11時半ベッドに戻り、酸素マスクや点滴姿のmーkと会い、元気そうなので
12時病院を後にしました。

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塔婆

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 彼岸に44年前に亡くなった先妻「智光院玉楓妙蔦大姉」のために
N老師が書いてくださった塔婆を立てました。

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 塔婆の裏に、いつも禅語を書いてくださいます。今回のは
  「掬水月在手」(水を掬えば月手に在り) でした。この後に  
  「弄花香満衣」(花を弄すれば香衣に満つ) と続きます。

 柴山全慶編の「禅林句集」によれば
「水を掬えば水となり、花を持てば花となる。心境一如、無心の三昧亭底。
触るところみな悟りの妙用」とありました。

 ちなみに塔婆の脇に五つの溝があるのは五輪を表し、上から
 ・宝珠型は「空」
 ・半円が「風」
 ・三角形は「火」
 ・円は「水」
 ・一番下の四角形は「地」

これら五つの要素で宇宙を構成するという宇宙観で、この中に人間が
生かされているという教えだそうです。

 今朝から27日までmーk、K病院に腕の手術のため入院しました。
娘のEが心配して夕方から我が家に来て夕食、泊まる。

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おはぎ

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 今日も彼岸参りに沢山の檀家さんが見えました。台風17号の影響で風が強く
bーgなんかよろける強さ、しかも気温が31℃で夏のような暑い1日でした。
檀家さんとの会話も「暑いですね」「風が強いですね」ばかり。
 このブログを書いている午後9時も28℃で、しばらく使わなかったクーラーを
回す暑さです。「暑さ寒さも彼岸まで」なので、明日から涼しくなるのかな。

 いつもおはぎをご寄付くださる檀家さんから今年も頂き、皆で分け合い
今夜の我が家の夕飯はおはぎ、美味しく頂戴しました。

 萩の咲く秋は「おはぎ」、牡丹の時期の春は「ぼた餅」と呼ばれるのは
みなさん周知のことですが、おはぎは花の大きさからぼた餅より小さく
作るのな本式だそうですが、本当の違いがあるのわかりません。

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 白山通りのイチョウ並木、9月9日の台風15号で多量に落ちた銀杏、
昨日今日の風で落ちた銀杏も真ッ黄色、やはり秋ですね。

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伊東屋5

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 「伊東屋と銀座の思い出」と題した元伊東屋社員だった義父の絵の最後です。
銀座通りを流す夜支那(ヨナキチャン)そば屋を、3階から呼び止めて
紐で釣り上げるスリル満点の注文。これを銀座通りでやったんだ。

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 bーgが会社員になった昭和30年代は、楽しいイベントだった社員旅行も、
今は飲み会はあっても、全社員の旅行なんてやる会社はないだろうな。

 この絵では大正10年頃の6月16日を伊東屋創業記念日と制定して
初めての慰労遠足会が開かれました。社員旅行のはしりだったでしょうか。
チンドン屋風の音楽隊を編成して、飯能村天覧山に繰り出したようです。
 一番後ろで、チャンチキチャンチキと鐘を鳴らしている「久どん」こそ
この絵を描いた若い頃の義父に違いありません。のんびりしたよき時代でした。

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 今日のbーgは、1日中お寺の彼岸参りの檀家さんのお線香点けの手伝い。
昨日の予報では台風17号の影響で朝から雨が降るはずが大ハズレ、
秋空の上天気で多くの方がお参りでした。古くからの顔なじみの方と会い、
せがれ一家もやって来ました。お参りが少なくなって来た3時半終了。

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伊東屋4

伊東屋7.jpg

 店員たちは何々どんと呼ばれていたんですね。昔の商店では皆そうでした。
bーgの本家でも働いている人をそう呼んでいましたが、今の伊東屋を考えると
不思議な呼び方です。

 おそらく入社早々だった丁稚の信どんは、印刷の「校正刷り」を知らなくて
大八車で受け取りに行ったのが、店内で大笑いされた話題だったのでしょうね。
 また、印刷工場の人の言葉が「校正ってえのは その紙1めえでいいんだよ」と
言う江戸弁なのも嬉しい。

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 若い店員のための寮。それも鉄筋コンクリート3階建が今の晴海通りの
築地市場の手前辺りに出来て、近隣の人に「掃き溜めに鶴が降りたようだ」と
評判だったとあります。
 3階の部屋割りまで書いてありますが、舎監さんや女中さんの部屋があるのも
時代ですね。大正時代に洒落た寮を作ったのは、さすが伊東屋です。


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 今日のbーgは、朝から寺でお彼岸の墓参りの線香点けのお手伝いでした。
明日から台風17号の影響で雨が降りそうで、昨日から多くの参拝者。
昼前にN老師お見えで、塔婆書きや墓参り。老師は一昨日は諏訪中央病院で講演、
昨日は始発で京都花園大学での摂心、京都から直にうちの寺にと東奔西走です。



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