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嵐の前

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 町会の電送で避難場所が教えられました。テレビでは「今まで経験したことが
無いような大型台風」で十分気をつけるように放送し、スーパーやホームセンター
には防災用品や水、保存食を求め人が殺到し、通常の10倍も売れているそうです。

 ブログを書いている11日午後9時半、まだ小雨状態です。明日起きた頃には
強い雨が降るのでしょうが、今は「嵐の前の静けさ」です。
予報では関東地方に土日の2日間で500mmの雨量と言うから、東京の下町は
水害に見舞われるのかな。葛飾区の水害マップでは、隅田川領域は真っ赤です。

 特に南の方は0地帯だからと避難を呼びかけています。bーgの住む文京区は
台地になっているので水害はないけれど、50mの風が吹くかも知れないと言うから、
我が家のヤワな屋根やTVアンテナが心配だけで、マンションに囲まれているために
風が弱まってくれるだろうと安心しています。

 mーkはK病院整形外科診察日、非常に混んでいたとか。今日でギプスが取れて
やっと自由な手となるが、まだちょっと腫れて動きが悪いので、来週もリハビリに。

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 週刊文春の表紙絵の和田誠さんが83歳で亡くなったニュース。
8月にもデザイナーの勝井三雄さんが88歳で亡くなりました。
二人とも1964年の東京オリンピックの際、選手の来日飛行機の帰り便を使う
団体旅行のはしりに、広告技術者協会主催で日本宣伝協会の会員として
一緒にヨーロッパを一月間旅したものでした。
 同年輩の人が亡くなるのは、とても寂しいものですね。

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大型台風がやって来る

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 気象庁が早々と会見を行い、「命を守る対策を」と呼びかけていました。
昨日今日の青空を見ると、とても2日後に最強台風がやって来るとは思えない。
 
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 テレビでは台風に備え、防災用具が飛ぶように売れているそうです。
mーkが隣の奧さんに会ったら、台風のために買いだめして来たそうで、
我が家はストックしてある他に、大きなペットボトルの水を買い足して来ました。
 後は明後日の風呂の水を捨てずにおいて、もしや停電した時のトイレ水用に残し
懐中電灯を探したら1本は壊れていて、この電灯しかありませんでした。
バッテリーを充電し、東京なら停電してもすぐ回復するだろうし、
ガラス戸にテープで補強することも必要ないだろうし。

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 心配は台風直撃する土曜日は寺の坐禅会。こんな時こそと頑張って
参加したくなりますが、交通機関が止まると言うし、それより指導される
N老師が、鎌倉から往復されるのも無理だろうと心配していた時に、
幹事のT先生から坐禅会はお休みとの電話。連絡できるあちこちに
メールしました。見えた方は坐禅だけして頂き帰って頂く由。

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切手

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 今月から消費税が8%から10%に上がり、郵便代もハガキが62円、封書が84円に
1円と2円ずつ上がり、残った以前の切手に足す1円切手が活躍です。

 昭和10年8月、父からのハガキには1銭5厘の切手が貼られ、当時5厘が流通して
いたんだと驚きました。どんな通貨だったのか全く覚えていません。
 下の2枚は昭和10年8月3日と8日の消印が付いています。

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 これは昭和12年8月と16年8月の切手で、ハガキ料金が10年と12年の間で
値上がりして2銭です。そして絵柄も戦時色となり、足利尊氏らとともに
天皇を助けた大楠公、皇居前に立つ「楠木正成」の銅像。
 昭和16年の2銭切手は、明治天皇に夫婦で殉死した軍神「乃木希典」です。
切手まで軍国主義の世になったのですね。

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 今日はmーkと話題の三谷監督の映画「記憶にございません」を見ようと
嵐の前の上天気につられ、上野TOHOシネマへ出かけようとバス停まで
100mも歩く間に3回も膝ががくりとなり、危うく転びそうになりました。
 mーkが腕を組んでいてくれた為、転倒を免れたものの自信をなくして、
映画行きを諦め、バス停から家に引き返してしまう始末。
 今がシーズンの展覧会や音楽会にも行きたいのが山々ですが、
これでは、だんだん歩けなくなるのかなあ。


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でもしか先生

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 神戸の小学校で若い先生が年上の先生4人から、羽交い締めや激辛カレーを目に口に
押込められたり、LINEで第三者にわいせつな言葉を入れさせたり、先生にあるまじき
イジメをしたニュースが今日流れました。校長に訴えたが揉み消され、教育委員会に
家族が訴えて発覚したのでした。教員社会の狭さ。

 8月の朝日新聞に教員のなり手がないとの記事が出て、産休で4年間休んでいる
ほーちゃんらの母親Mに送りました。彼女は子供らが大きくなったので、復職を
考えているようです。

 昨日の朝日新聞にまた「教員のなり手が減少」の記事が載りました。
給料が安く、給料の4%が出るだけで残業代が出ず、長時間労働が当たり前に
なっている「ブラック職場」が敬遠され、ベビーブーム時代に採用された教員が
定年を迎え大量に辞めたり、産休育休で休暇等教員の補給が緊急なのに、
採用試験の競争倍率が低いのに人が集まらいようなのです。

 bーgの子供の頃の先生は怖かった。小学校の担任だったT先生は悪いことすると
すぐゲンコツの師範学校での先生でしたが、昭和19年我々がそうつぎょうする時に
大政翼賛会の世の中に反発したのか、教員をサッと辞めてしまいました。
 戦後、謄写版の印刷屋になっていたT先生ご夫妻と会い、生涯深くお付き合いし
可愛がって頂いだ、気骨のある九州男児の先生でした。

 bーgが大学を卒業した昭和29年頃は「でもしか先生」と言う言葉が流行りました。
戦後から高度成長期にかけて教員の採用枠が急増し、教員志願者が容易に就職できた
時代、他にやりたい仕事が見つからないから「先生でもやろう」とか、他に技能が
ないので「先生にしかなれない」と言う無気力な先生は呼ばれました。
 高度成長期が終わり、1990年以降は国内経済の低調や少子化によって、学校の
教員採用が激減、競争倍率の高い狭き門になり「でもしか先生」は死語になりました。

 上は今日の朝日新聞、下は出身小学校の玄関先に今でも鎮座する二宮金次郎像。

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にわかファン

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 スポーツの秋で日本中が沸いています。bーgもにわかファンで結果に一喜一憂して
います。と言っても初めから観戦しているのではなく、最後勝ちそうだと言う所だけ
見ているのです。ハラハラして見ていられないのです。
 
 昨日だって女子ゴルフの渋野選手のラストが気になったり、世界陸上の400mリレー
三走の桐生選手がトップになったのにサニブラウン選手が見る見る抜かれて胴メダル。
先日行った50kmと20km競歩の金メダル、バレーボールのワールドカップ。

 これこそ「にわかファン」のラグビーのルールがわかり始めて面白くなったものの、
圧勝したサモア戦も最後にちょっとだけの観戦。今期3勝テニスの大坂なおみ選手も。
野球のクライマックスシリーズも気になり、阪神に勝たせて巨人阪神の日本シリーズを
ぜひ戦わせたいものです。
 
 外人が多いラグビー日本代表でも、日本の快勝に日本中が沸いています。スポーツを
通じ、単民族の日本人社会に外人が混じるのに、馴染みつつあるのでしょうか。
 そして目白押しのスポーツシーズン最中に、400勝投手の金田正一さんの訃報。

 ひと月ぶりに事務所行き、神保町の額屋に回って今日は3800歩。千石上空の雲。

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筆まめ

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 bーgも手紙を書くのが好きで、まあ「筆まめ」の部類だと自負しています。
介護施設に入居中の友人Kには、さぞ寂しかろうと毎週のように絵手紙を送って
いるし、あちこちにハガキやメールを出すのは、父親譲りの遺伝かも知れません。

 昨日アップした昭和10年7月末のダットサンの記事の合間には、5枚も絵はがきを
熱海の滞在先に送ってくれています。最初のハガキは、昨日の富士山をバックに
自家用車を走るハガキの直後に出したもので、7月31日付け。
 あの頃は熱海の海は子供でも泳げたのですね。

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 これは8月1日の朝に描いたとあり、妹はまだ赤ん坊で「チューチューパッパッ」
兄は宿題を従姉のA子に教わり、bーgは大島三原山の噴煙を指差し「アノ島、
火事ナンダロ」と指差してます。
 その下の2枚は以前載せたものですが、8月1日夜に描き、bーgが骨折したので
急遽2日の朝に描いて出しています。

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 次の3日には水蜜ジュースの作り方を、「エーオーカーケー」放送局風に
詳しく描いています。父はbーgと違って料理を作るのが好きでしたから、
こんな絵手紙になったのでしょう。そして5日に昨日載せた「車の運転で大変」に
続くのです。
 家庭的な優しい父親でした。

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ダットサン

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 これも父が熱海で保養している子供らに送られた絵手紙です。
左の吹き出しは
「オジイサン、今夜ハ名古屋ドマリノヨテイデス。マメ自動車デ、
東海道ヒザクリゲヲ、サセラレテ私モ、本望デスヨ。」
と自動車を買ってお祖父さんを連れ出した夢を描いた手紙です。

 ハガキの裏面には、一緒に働いている父の米屋の兄が、
「豆自動車を欲しがっていて、何とかして今のオートバイと取り替えたいと
言い、その時が来たら表の画みたいが実現するわけなんで………。」とあります。
これが昭和10年7月らしいが、切手欲しさに角を切ってしまい日付不明です。

 次の絵はがきは昭和10年8月6日で、豆自動車「ダットサン」を購入したらしく
「昨日は米屋の兄さんと車を運転して大変なお父さんでした。」
とあるのは、初めての運転練習で汗を流したのでしょうか。

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 家業の団扇・暦業と精米業を一族で行い、地方への注文取りや配達用に使える
トラックではなく、売り出したばかりの「ダットサン」を自家用として買ったの
でしょう。自家用車は当時としては珍しく、bーgも乗った記憶がありますが、
戦争が激しくなると、数年で軍にタダ同然で供出させられてしまいました。
 大伯父とダットサンの前で並ぶ右がbーg、その左が兄といとこ達。
bーg以外はみんなこの世にいなくなりました。

 ネットで「ダットサン」の由来を見ると面白いので、また書きたいです。

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台風18号余波

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 またまた台風、幸い日本海で温帯性低気圧に変わったそうだが、昨夜来から
今日の午前中に強い雨が降るとの予報。mーkがK病院整形外科の往診日で
bーgもしびれの薬タリージェ錠が切れたため、一緒に出掛けるつもりでした。
 しかし大雨ではちょっとねと思い、昨日病院へ電話してbーgが行かずに
薬だけ出す約束をもらいました。

 予想に反し、今朝通勤時の東京南部は強い雨が降ったのに、文京区付近は
曇りから青空が見え始め拍子抜け。mーk一人でK病院へ行き、腕のギプスが
手だけになり、リハビリして帰宅。多少動きが楽になったようです。

 結局bーgは1日出かけず、夕方になってやっとコンビニまで往復の歩きだけ。
外に出ると空はすっかり晴れわたり、夕日がビルを赤く照らしていました。

 道路にはイチョウの並木からギンナンが多量に落ちて、車のタイヤに潰され
地面に貼り付いて汚いこと。これってなかなか雨でも落ちないのです。
 
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 歩道にも踏まずにいられないほどのギンナンで、臭い臭い。
でも誰もこのギンナンを食べるために、拾う人がいないのですね。
以前、寺のイチョウも大量のギンナンがバケツ3杯も落ち、坐禅会の
女性が実を洗ってみんなに分けてくれました。
 近所の人も拾いに来てましたね。それを炒って皮むき食べると
美味しいかったものでしたが、ある時イチョウを大きく剪定してから、
ギンナンがならなくなりました。

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昭和8年夏の絵手紙

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 だらしがないがブラブラの1日で話題なし。なので父がくれた絵葉書の続編です。
昭和6年だからbーgが2歳の夏のこと。祖母の妹が嫁いだ房州の同業の団扇製造の
親戚の家で過ごした、避暑中に送られたもの。従姉兄も何人か一緒だったようです。

 父は避暑の度に手紙を出してくれて、絵は上から7月28日、29日、8月1日と続き、
このほか2日日付の絵葉書もあるのです。

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 昨日はブログが入れられず、やっと今日の昼に昨日の分を恐る恐る入れましたので
見てください。今までと入力法が少し変わったので、不安ですが続けます。

 父は若い時に召集されて、甲種合格で海軍に3年ほど入隊していました。
上の肖像は昭和19年9月18日出征の直前に、隣組におられた院展の画家で俳人の
長谷川朝風さんに描いていただきました。原画はカラーですが、母が亡くなった時
お棺に納めてしまい今はありません。父の風貌や性格がとても描かれています。
 この軍服をとっておけば良かったのに、出征の時に真面目に着て入隊しました。

 この7年前の昭和12年8月8日と10日の絵葉書、夏休みを房州船形の親戚で
過ごしている時に送られたもの。
 右上には「生きて帰ると思うなよ。軍人の本文をつくせよ」と伯父らしき人の言葉。
祖父も「しっかりやっておくれ」と呼び掛けてます。左の兄は「おとーさん おみやげは
きんしくんしょうだよ」。昼寝にこんな夢を見るほど戦争が激しくなって来た時代です。

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 二日後に届いた絵葉書は、番兵中に「敵弾にやられた!」と思ったら、
殊勲のビールだったと言う話。でも7年後には本当にフィリッピンの
クラークフィールドで戦死してしまいました。全くの無駄死にでした。

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