もの忘れ
今日は調子よく歩けそうだなと思う時と、できれば怠けたいと思う日があり、
主に天気と気温が左右します。寒かった午前中、陽当たりが良さそうと思っている
うちに午後から曇り始め、慌ててちょっと遠くまで歩く気になりました。
とは言え千石の交差点までですが休まずに到着、目的でもあったM銀行で記帳。
ぱぱすで買い物して自宅に戻りました。この間、Steps月ベストの3,230歩。
歩くときはスマホをポケットにして、ブログ種を探します。白山通りにこの花が
ひっそり咲いていて「あ、この花の名は‥‥」と言おうとしたが、最近すぐには
出てくれません。「ほら、円覚寺の奥の寺に咲いていた‥‥」と、この花が咲いて
いた黄梅院の名前が一瞬出てこないのですね。
m-kと話している時、よく二人で固有名詞を思い出さない時があるのですが、
共通の思い出があるので、固有名詞なしでも話題は繋がるのです。この花の名は
帰ってGoogle Lensで調べて、「なーんだ、マンサクだ」と思い出しました。
こうして徐々に認知症が始まるのでしょうかね。
やはりオリンピックの組織委員会会長に、橋本聖子さんが決まりました。彼女は
東京オリンピックの直後に生まれ、「聖子」と名付けられ、オリンピックに7回も
参加した申し子のような方。話題性があるけれど、辞められた前会長の森さんとは
政治的に近過ぎるので、決まっても何かスッキリ良かったとは思えないのです。
コロナワクチン接種
新型コロナウイルスのワクチン接種が、医療従事者に始まりました。今日はたった
12人だけ。4万人の医師から始まる接種です。老人は4月の半ばから受けられるそう
ですが、果たしてワクチンそのものが調達できるのか問題です。インフルエンザの
予防注射もいつも受けているので、当然b-gたちは受けたいですね。
オリンピック・パラピンピック大会組織委員会の会長が、橋本聖子五輪担当大臣に
決まったとの速報が今流れています。彼女がOKするかどうかで決定するそうですが
誰がなっても大役です。そもそもオリンピックを行うのか、行うとしたら無観客か
少人数入れての大会になるのか、入場料が入らない時、小さなオリンピックとして
東京に誘致したのも問題です。コロナだって見通しつかないしね。
島根県知事は聖火リレーの中止を唱えました。そもそもオリンピックに反対だそう
です。潮目が流動的なこの時、中止か延期かの大事な判断するのに、この人が会長で
大丈夫なのかしら。
今日の散歩は町内を回って2,700歩。2軒先のお隣さんの玄関に咲いた紅梅と
石灯籠の対比が美しく、スマホでショット。
薬漬け
この絵は30年くらい前のもので、一回2錠ずつを日に2回飲んでいたようです。
手当たり次第に何でも絵にして、義母へ絵手紙を送っていたので残ってました。
最近は病院で処方されるまま、薬を毎食後にデザートのように10錠近く飲んで
いますが、今日から胆石と肝膿瘍の薬など、抗生物質を含む5錠を辞めることに
なって、回数と数量がぐっと減ってホッとしてます。
朝から予約したK病院外科へ。血液検査で肝膿瘍による炎症は治まったようだが
その原因になっている5ミリほどの小さな胆石は、5年前からCTに映ったままで、
「これを除去しない限り、また肝膿瘍などが出る可能性があり、年齢からして早く
内視鏡で取るべきです」と若いT先生に説得されました。
b-gとしては余命までは、これでアウトにならないと思って、オペは勘弁してと
言ったのですが、「歳とると悪性になる可能性があるので危険です」と言われては、
「ではお願いします」と手術を決心し、入院手続きを済まして帰りました。
来月3日10時に入院、午後2時半からERCPという内視鏡手術、その前の来週には
PCRの検査をして、陰性でなければ入院出来ないよし。期間は4日間ほどですが
今時は見舞いはならぬそうです。3年目の入院となりました。
ハッピーバレンタイン
ほーちゃん、かんかんから東京ジジババに、嬉しいバレンタインが届きました。
小袋に入ったチョコレートと手作りの花との折り紙。
二人とも手を動かすのが好きで、先日も海苔巻き作りを手伝う姿がLINEで
送られて来ました。
今日は久し振りの弾丸低気圧が日本をあっと言う間に横断し、今朝方から午後まで
強い雨が降ったのに、4時頃テレビで赤坂で虹が出たと言ってました。見たかった。
NETに載ったサンシャインで見えた虹の写真を借りました。
3.11から10年目
昨夜の地震には驚きました。福島県沖を震源とする地震はマグニチュード7.1で
震源の深さは約60キロ。宮城県南部での最大震度は6強でした。
NHKの深夜放送は朝まで地震のニュースだけ。そして朝6時頃に入ると思われる
新聞に、早くも記事として載っているのです。テレビでも朝からオリンピックや
コロナの話題はすっ飛んで、地震のニュース一色。テレビで見る昨夜の地震の
揺れ具合は、あの日にb-gが東京で経験したのと同じでした。
来月は東日本大震災から丁度10年目です。あの地震の余波だそうで、あの日のは
プレート境界で起きた地震でしたが、昨夜はプレート内部で起きたズレで、津波は
ないそうです。しかし1週間以内に震度6程の地震が、まだ起きるかもとのこと。
明日は雨が降るようで、地震で地盤の緩んだところの土砂崩れに注意とのこと。
白山の空にはウロコ雲が出始めました。この雲は雨になる予兆なのかな。
今日の散歩は18℃の暖かさで、セーター脱いで3,077歩。ちょっと汗ばみました。
この歩数でも今月のベストでした。
昭和史
先月亡くなった半藤一利さんの「B面昭和史」を読んでいます。大正15年12月25日
午前1時25分、長く患っていた大正天皇が亡くなられた時から話が始まります。
その夜に「皇室典範」にのっとり、皇太子裕仁親王が第124代天皇になりました。
その日の早朝の午前3時半過ぎ、凍てつくような東京の街々を鈴を鳴らしながら
東京日日新聞の「号外、号外」と号外配りが駆け回りました。次の年号が「光文」と
スクープしたのです。報知新聞も後を追って大きく報じるのです。
ところが、正午近くになって朝日新聞と時事新報が号外で、元号について勅語が
出て「大正15年12月25日以降を昭和元年となす」と出て、東京日日新聞の大誤報
となってしまったのです。昭和元年はその後の1週間だけですが、事件の多かった
昭和時代が始まりました。
b-gの兄は昭和2年4月25日生まれ、すれすれの昭和生まれです。従姉妹も同じ年
の生まれで名前は「和子」。昔は生まれ年を名前に着けるのが多かったと、この本
「B面昭和史」にありました。
明治元年辰年生まれの祖父は「辰之助」。伯父の子達は「正雄」「年子」「和子」
「巳四三」「昭子」と続きます。上が和子で妹が昭子で逆なのは「B面昭和史」に
よると、昭のつく熟語が無くて、日本人に馴染みがなかったようです。もう従兄弟
たちは一人もいなくなったので、確かめようがありません。
白山通りのあちこちに水仙の花が咲いています。小石川植物園の先の播磨坂では
川津桜が咲いているとNさんからのライン。今日は15℃でセーターを脱いで歩き
ました。春が近い感じです。
今日の東京のコロナ感染者数は369人で、7日間連続で500人を下回ったとは言え、
劇的に減っていないので安心はまだまだです。
ブログを入れて、さて風呂に入ろうと脱ぎ始めた11時ちょっと過ぎ、スマホの
地震警報がけたたましく鳴りました。最近はよく鳴っても大した地震でないので
「またまた」と思った途端に、最近ないような大きな揺れ、それも長く強く続いて
テレビは一斉に地震情報に切り替えられてビックリ。
子供らからも心配のメールが入り、都内では久し振りの震度4とか震度5弱の
揺れで、みな驚きました。震源地が福島沖、10年前の東日本大地震の繋がりか。
オリンピックまで後160日
JOCの評議委員会で森組織委員長が「女性がたくさん入っているんです理事会は
時間がかかります」と女性蔑視ともとれる発言したことから、この数日はこの話に
持ちっきりです。
辞める辞めないから、早稲田大学の一年先輩のサッカー協会の川淵さんを自宅で
面会して、就任に前向きな意向を話したのが昨日。b-gはそれもなるほどと思ったが
一夜明けて事態一変。政府がこの取り引きに難色を示し、就任は白紙になりました。
ジェンダー問題で女性役員を多数入れなければならなくなり、半年後に迫った
オリンピック・パラリンピック、はたして出来るのだろうか。出来るとしたら
どんな形があるのか、いくつかのケースを教えて欲しいです。
東京駅に後何日何時間何秒のこんな電光サインがあるそうです。bsさんの今夜の
Instagramから無断借用いたしました。
昨日サボった運動、今日は体調が良くて千石まで坂道を登って一回り。一回休憩で
30分歩いて2,337歩。道端で発見した植木と心和む子犬の置き物。
白梅
一昨日に寺で撮った白梅です。寺で坐禅をしていると、どこからか鶯がやって来て
つくばいで喉を潤し、枝に移っては囀る声が、のどかに聞こえたものでした。
都心でありながらこの辺りは、小石川植物園や六義園、東大の広大なキャンパスが
あって緑の多いところです。少し前まで我が家でも、近くに鶯の鳴き声をよく耳に
したのに、聞けなくなったのは寂しいです。
今日はどこにも出掛けず、椅子に座ったままの1日でした。
久し振りの外出
暫くぶりにビーグルに乗って後楽園ラクーアへ出掛けてきました。緊急事態宣言の
自粛続きでいささか欲求不満が募り、不要不急の外出ははばかれるのですが、空いて
いる時間なら許してもらえるかと、杖を片手にm-kとビーグルバスに乗りました。
午後早くは、さすがバスもラクーアも人はまばら。無印良品でジップジャケット、
マツモトキヨシで手指の消毒液など求め、3階からラクーアを眺めて休んで帰宅。
帰路のバスで盛んに咳をする老婦人が乗り込み、申し訳ないが、この時期ちょっと
迷惑な気分になり、外出しなければ良かったとも思ったほど。
ガンの治療が終わってリハビリ中のSさんから「近くの図書館まで行き、また歩きが
伸びました」のメッセージに良かったと思い、夜には高校大学一緒のI君からは電話で
「先週から手の先が白く冷たくなるので困った」。普通に生活するのが大変になった
年齢になったねと話し合う。
春を告げる福寿草
白山の我が寺で福寿草が咲いていますと、昨日Nさんからインスタが届きました。
早速今日の散歩の目的地を寺にして3,000歩、今日の気温は9℃だが暖かい陽射しで
気持ち良く歩けました。
寺の駐車場に大きなトラックが2台、何事かと見たら、隣家との間に茂った木々を
ばっさり切り終わってました。檜や楓、孟宗竹まで無くなり、ちょっと勿体無い気分。
慣れるまで異空間です。
玄関前に寺のシンボルの様に聳えていたハクモクレンも、昨年根こそぎ無くなり
根元に毎年咲いていた福寿草が、今年も2、3輪可憐に咲いていました。しゃがめぬ
身体でスマホを地面すれすれに撮るのは大変、勘でシャッターを切りました。
b-gらがいるの察し、K副住さんが玄関先に出て来てしばらく歓談。Kさんの言う
には、福寿草は日没と共に花を閉じ、明日の太陽と共にまた咲くそうです。
福寿草とはいい名前ですね。春を告げる花の代表で、元日草(がんじつそう)や
朔日草(ついたちそう)の別名を持つとありました。花言葉は永遠の幸福、思い出、
幸福を招く、祝福など。縁起の良い花らしく、楚々として美しい。
二人の高校友人から電話とメール。Sは耳鼻咽喉科医院を去年締めて隠居中ですが
b-gの体調心配して、医学的に詳しく説明してくれました。あまり心配いらないと
言うのが結論で、小学校の仲間からも手紙のご機嫌伺い。友人は有難いです。