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散歩千歩

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 m-kに「そろそろ散歩しない」と言われて、いささか面倒な重い腰をあげました。
夕方3時半、今日は運動を怠けようと思っている時でした。暖かくて眠くてだるくて
今日はパスしようと考えていました。

ランタナ.jpeg メネシア.jpeg

 例のシルバーカーを玄関から引き出して歩き始めると、足が自然に軽く動いて
くれて、ルンルン気分になるのです。ハンドルとブレーキを両手に握ると、体重が
分散するのか杖に頼るより安定して腰が痛くならず、歩きがとても楽なのですね。
最近は近所を歩いても恥ずかしくなくなり、堂々と押して出るようになりました。

空と雲.jpeg

 手紙2通を持っていつものコースでポストに投函、信号一周して1,028歩でした。
見上げる青空の中を雲が動き、風が急に吹き始めました。スマホがチンと鳴り、
開いてみると「文京付近に雨が近づいています」と入ってました。

雨が.jpg

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過去最多更新

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 心配したコロナ感染者が警戒レベルまで拡大し始めました。東京で2日連続の最多
を更新し、遂に534人に膨らみました。一月後には1,000人を超えるのではないか
との予想です。全国各地でも過去最多の感染者数となり、全国総数で2201人です。
ネットで見た今年3月からの感染者数のグラフをコピーします。

 東京都は、都内のコロナの感染状況を4段階のうち、最も高い警戒レベルまで引き
上げました。ここで感染を止めないと、手が付けられない事態になるのでないかと、
気になりますが、GoToキャンペーンをやめて欲しいと地方からの依頼がないから
やめません、個人個人が感染に気をつけて欲しいと、政府の無責任なお達しです。
今週末の3連休は「我慢の3連休」で、出かけないようにと呼びかけています。

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 今日は一日中ヒーターつけず過ごす9月下旬の暖かさで24℃、大阪でな26.6℃で
81年ぶりの夏日ですよ。来週はまた気温が下がるそうで、暑かったり寒かったり
風邪引かぬようしないと。

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 白山通りのイチョウが所々散り始め、散歩道に黄色い絨毯を敷き始めました。
銀杏も盛んに落ちて、こんなに道路を臭く汚しています。

ぎんなん.jpeg

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下駄を履かせる

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 先日の新聞で「下駄を履かせる」と言う言葉は、下駄を履かない今の人には
通じない諺かもしれないと出ていました。我が家でも今や下駄箱は名前だけで
下駄を見ることは出来ません。
 
 子供の頃の履物といえば下駄しかなく、運動靴は運動会の時の道具でした。
裸足で履くから下駄の表面には黒く足の形がプリントされてね。また長く履く
ので下駄の鼻緒が切れても自分ですげ、足癖で歯が磨り減って斜めになったり
板のようになり、ついには下駄が割れてやっと捨てるのでした。

 写真は大学2年生の頃、大学の庭で撮ったもの。b-gも花をスケッチするSの
足も下駄ばきです。下駄ばきで大学に通っても恥ずかしくなかった。昭和26年、
今から74年も昔の話。

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 子供の頃に町を小鼓をトントン叩いてリヤカー引き、下駄の歯入れや鼻緒を
すげる業者がいたし、下駄屋は近所に必ずありましたね。白山辺りでは坂上に
一軒あったけれど、今でもあるかな。

 新聞記事の戻ります。「下駄」を辞書で引くと下駄にちなんだ諺がぞろぞろ
ありました。

 下駄を預ける  相手に物事の処理の方法や責任などを一任する。 
         人に預けた下駄を返して貰うまで、どこへも行けないことから。
 下駄を履かせる 物事を実際より多く、または見せる。価格を高くいつわる。
 下駄を履くまで 最後の最後まで。物事が終わるまで。
 下駄を履く   中間で値段を高くして利を取る。
 下駄と焼き味噌 外形が似て実質の全く相異なることのたとえ。
 下駄も仏も同じ木のきれ 尊卑の別はあるが、もとは同じであることのたとえ。

 初めて知った諺もありますが、これらは下駄が生活に欠かせないからですね。

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デジタル週刊誌

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 最近は、さて今日のブログの話題は何しようかと思い悩むことがあります。
元気に働いていた頃のブログを見直すと、面白いと思う話題やテーマがゴロゴロ
目につき、書くに事欠くこともありませんでした。
 
 が、最近は世界が狭くなってね、昔のブログを再登場させようなんて思うことが
時々あります。テレビでもコロナで海外ロケなど取材ができなくて、以前のテレビを
流して、その後の状況などを外国とのオンラインで作ることが多いですよね。

 大学ではオンライン授業ばかりで、4月に入学したのにクラスメイトと一度も会った
こともなく、図書館すら行っていないとか。最近はやっと少しの対面授業も始まった
ようですが、オンライン授業との「ハイブリッド授業」も先生たちは2倍の苦労を
強いられるのでは。

 コロナで世の中のシステムがどんどん変わります。b-gなんて付いて行けません。
とは言え、最近は本を電子書籍で買うことがあります。週刊誌なども紙より少し
安いしクラウドでiPadでもiPhoneで文字を拡大して、どこでも読めるのは便利です。

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展覧会

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 今年の2月頃からコロナのために、公募の展覧会や個展が開かなくなっていました。
昨日面倒を見てくれた姪の書道用品店でも、そのために作品を作らなくなり、売り上げが
ぐんと減ったと言ってました。が、最近やっと展覧会のニュースが聞かれます。先日は
日展の招待券を頂きました。開催中なのですが、さて出歩くのが怖くて行けるかな?

 頂いたのは日本画家の小泉淳作さんと美校同期の川崎鈴彦さんです。小泉さんを通じて
お付き合いが始まりました。川崎さんは日展特別会員で、父親は川崎小虎さん、弟さんは
川崎晴彦さん、叔父さんが東山魁夷さん、その他お身内に画家が多い芸術一家です。

 川崎さんは1925年、大正14年生まれだからb-gの6歳上の95歳です。いまだに現役で
制作を続けて日展に出品されているのです。すごい情熱です。最近は全く絵を描かなく
なったb-gに、せがれは「絵を描きなよ」とハッパをかけるのですが、どうもモノグサに
なりました。

 モノグサは、今日のように快晴で22℃と暖かく、東京から富士山がよく見えるとの
ニュースでも外に出るのがなんとなく面倒くて、スッと腰が上がりません。運動不足は
ますます歩行を困難にするのはわかっているのになあ。

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山硯展

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 御茶ノ水の亀治郎ギャラリーで、b-gの姪の書道用品店宝硯堂の長男で製硯師Tが
俳優で書家の緒形幹太さんと「山硯展」を月初めから開催していました。最終日の
今夕、姪夫婦が車で我が家まで迎えに来てくれて、m-kと一緒に見て来ました。

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 宮城県石巻は仙台藩主の伊達政宗が愛用した硯の産地で、東北地方太平洋地震で
一帯が復興事業のため、硯石を産する御留山も埋め立てられることになりました。
山がなくなってしまう前に、ここで取れる「御留石」を有効利用出来ないかと
この地の硯生産販売協同組合から相談があったそうです。

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 そこでTはチームを組んで、山をそのまま硯に見立てて岩に直に彫ったのです。
出来上がった山硯で墨を摺り、緒形幹太さんが筆で書いたのです。この展覧会の
ことは明日また。

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 展覧会を見てから姪夫婦と浅草の「むぎとろ」で、天ぷら麦とろご飯をご馳走に
なり、隅田川に出てスカイツリーの夜景を眺め、大満足で家までまた送って貰った
幸せな1日でした。

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照葉

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 今日は白山通りの信号3つ分を往復して、1,700歩の運動でした。通りのイチョウ
などの樹々に紅葉が始まりました。まだ緑のままから黄色付いたもの、橙色や茶色
など、夕日に照らされて輝いて、まさに錦秋の幕開けです。

 長い冬の間の枯れていた樹々が、春になって青葉若葉をつけ始めるのを見ると
生命の始まりを感じ、夏に濃い緑に変わる時は成熟、そして秋の鮮やかな紅葉に
有終の美を覚えます。それぞれ味わいがあるけれど、紅葉は美しいだけではない
人生を重ね合わすのでしょうか、色濃く染まった樹々をしみじみと眺めます。

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 歳時記の秋の植物には、初紅葉、薄黄葉、黄葉、照葉、黄葉かつ散る、黄落、
雑木紅葉、など数多くの季語が出てきて、微妙な違いの言葉があるようです。
外国語はわかりませんが、多分日本語特有の美しさでしょうね。

 銀杏から季語の「黄葉かつ散る」に変わりつつあります。来週にはイチョウの
黄絨毯が敷き詰められることでしょう。滑り易いので気をつけて歩かなければ。

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お寺の多い町

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 我が家の裏通りを信号2つ分の距離の中、町会内に5ヶ寺もあります。
振袖火事と呼ばれる明暦の大火で、江戸城はじめ江戸中が丸焼けになってから
都市計画が行われ、寺も浅草、駒込、芝、目黒などに社寺が多いのはその為です。
隣町会にあるbーgの龍雲院も、この時に神田から移って来たと聞いています。

 今日の散歩は、夕方ちょっと遅くなり4時45分頃に家を出て、コースを変えて
寺の多い町内の裏通りを歩きました。5時前だというのに辺りは夕暮れが迫り、
秋の夜長を感じますね。

 夕陽が水平線の向こうにすっかり沈み、一行院辺りも暗くなり始めていました。
寺の境内が広いので、この辺りは空が開けて都心らしくない風景が見られます。

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 一行院から北を見ると、白山通りに面したマンション、日当たりが良く景色も
さぞ良いでしょうね。一行院は京都の知恩院、東京の増上寺を本山とする浄土宗の
お寺で、住職のSさんとは以前、b-gと一緒に長いこと町会の役員をしていましたし、
雅楽の「伶楽舎」の一員として、仲間と盛んに演奏会を開いています。

 一行院は江戸時代の後期、諸国を巡錫した念仏行者「徳本行者」が往生した地で
今も祀られています。前住職のお父さんは増上寺の現法主で、b-gの芸大同級でGK
デザインを立ち上げたEとは海軍兵学校の同期生と知り、ビックリしたものでした。

 Eも広島の浄土系の寺の子で、原爆で亡くなった父親に代わり住職の資格を取って
芸大の学生時代にはお盆や彼岸の度に広島に戻って、坊さんを熱心にしていました。

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Kの思い出

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 昨日亡くなった高校時代の友人K弁護士の思い出です。

 戦争末期に区内小学校(当時の国民学校)対抗の模型飛行機大会が、谷中小学校の
校庭でありました。模型飛行機作りに夢中だったb-gは選ばれて、A1と呼んだ
ライトプレーンが良く飛んだものでした。

 このことを別の小学校から選ばれて来たKが覚えていて、後年「君の飛行機が
良く飛んだのを覚えているよ」と、b-gに話すのです。彼とは中学に入って初めて
会ったのに。優秀な弁護士になる才能が、子供の頃からあったのでしょうか。

 b-gがm-kと結婚した時のことです。金曜会と名付けた高校仲間の会が20人ほど
集まって、上野の「しんすけ」で祝ってくれました。その時Kがm-kに囁いたのは
「僕は弁護士だから、離婚することがあったら貴女に有利に弁護してあげるよ」。
彼のユーモアこもった友情と暖かい心が知れますね。

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 この写真は5年前、Kの資料室で行われた金曜会の集まりの帰り、足の悪くなった
b-gをm-kが迎えに来てくれて、Kと一緒に都営地下鉄で帰ろうと御徒町駅までの間
の写真です。杖をついていたb-gより足取りが悪いKを、m-kがサポートしました。
今でも目の奥に残る在りし日のKの後姿と、話しながらすぐにゲラゲラ笑いだす、
あの声と顔が忘れられません。

 なんと今日のコロナ感染者は東京で393人、北海道で236人など各地で過去最多
となりました。全国でも8月7日の記録を上回る1600人以上の過去最多を記録。
東京の最高気温が13℃、床暖を初めて点けました。寒い1日だし散歩せずでした。


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Kの訃報

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 一昨日ブログに高校の友人Kの体調がすこぶる悪いと書きましたが、今日の午後に
遂に亡くなったと、彼の法律事務所を継いだ長男のSさんから電話がありました。

 b-gの出た高校は上野や浅草の子供たちが進学する学校でした。元は旧制の中学で
昭和19年に小学校から受験して入った上野中学校です。戦後の22年に制度が変わり
6334制となって、中学の5年になる時に新制高校2期の2年生となりました。

 Kは中学からクラスのリーダーで優秀な目立つ生徒でした。戦後疎開から生徒が
どんどん戻って来て、人数が少なかったそれまでの2組編成が3組になり、そして
4組にと急激に増えて行った頃の昭和22年の話です。

 やっとクラスが仲良くなって来た時に、突如クラスの総入れ替えの話が学校から
出て、Kらが中心になって反対運動が起こりました。組み替え反対と同時に戦中の
皇民教育から俄かにデモクラシー教育に転換した先生達に矛盾を感じ、戦争中の
言動に反省を求めての1週間ストライキしたことなど思い出します。

 新制高校に代わる時、弁護士の長男だったKは弁護士になるべく東大ではなく
中央大学を選んで予科に進み、大学在学中に弁護士となりました。東京弁護士会の
副会長を歴任したり、テレビで「相続・遺産」の番組などで活躍していました。

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 Kは卒業後も高校同期の中心となり、仲間を纏めてくれました。40年前に文集
「我ら青春の記」を作り、10年前には再び「いいぶん いぶん (言い分 遺文)」と
言う文集を編集し、b-gも手伝いました。戦中戦後の頃の話題は貴重です。

 文集作って10年、投稿してくれた仲間の多くは鬼籍に移ってしまいました。
今週土曜に通夜なしの告別式のファックスを貰いましたが、お世話になり思い出
多いKの焼香には行きたい気持ちはあるものの、全国で1548人の感染者が出た
今日です。第三次感染の始まりや、この足腰の具合では無理かもなあ。

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