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下駄を履かせる

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 先日の新聞で「下駄を履かせる」と言う言葉は、下駄を履かない今の人には
通じない諺かもしれないと出ていました。我が家でも今や下駄箱は名前だけで
下駄を見ることは出来ません。
 
 子供の頃の履物といえば下駄しかなく、運動靴は運動会の時の道具でした。
裸足で履くから下駄の表面には黒く足の形がプリントされてね。また長く履く
ので下駄の鼻緒が切れても自分ですげ、足癖で歯が磨り減って斜めになったり
板のようになり、ついには下駄が割れてやっと捨てるのでした。

 写真は大学2年生の頃、大学の庭で撮ったもの。b-gも花をスケッチするSの
足も下駄ばきです。下駄ばきで大学に通っても恥ずかしくなかった。昭和26年、
今から74年も昔の話。

下駄履き.jpg

 子供の頃に町を小鼓をトントン叩いてリヤカー引き、下駄の歯入れや鼻緒を
すげる業者がいたし、下駄屋は近所に必ずありましたね。白山辺りでは坂上に
一軒あったけれど、今でもあるかな。

 新聞記事の戻ります。「下駄」を辞書で引くと下駄にちなんだ諺がぞろぞろ
ありました。

 下駄を預ける  相手に物事の処理の方法や責任などを一任する。 
         人に預けた下駄を返して貰うまで、どこへも行けないことから。
 下駄を履かせる 物事を実際より多く、または見せる。価格を高くいつわる。
 下駄を履くまで 最後の最後まで。物事が終わるまで。
 下駄を履く   中間で値段を高くして利を取る。
 下駄と焼き味噌 外形が似て実質の全く相異なることのたとえ。
 下駄も仏も同じ木のきれ 尊卑の別はあるが、もとは同じであることのたとえ。

 初めて知った諺もありますが、これらは下駄が生活に欠かせないからですね。

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